播磨(現在の兵庫県南西部)の豪族・小寺氏の家老として姫路城代職を務めた。
織田信長の命を受けた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)により、1575年ごろから
始まった播磨攻略では、前線基地として居城である姫路城を提供するなど
織田・豊臣政権に協力。
秀吉の中国攻め、四国・九州征伐などを補佐した。関ケ原合戦では
徳川方につき、後筑前52万3千石の藩主と成る。その礎を築いた
のが姫路にほかならず、まさに姫路から天下に翔いたといえる。

※灘菊のロンドンバスに黒田二十四騎の肖像画を展示




この「鉄人達」のスタミナの素を「大返しめし」と銘づけて酒蔵に蘇らせました。「食の鉄人」の皆様に味わっていただきます。
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この「鉄人達」のスタミナの素を「大返しめし」と銘づけて酒蔵に蘇らせました。「食の鉄人」の皆様に味わっていただきます。

「黒田二十四騎」とは、官兵衛が黒田家創期の精鋭24人を選んだものと伝えられ、
江戸中期以降、その画像が数多く描かれました。黒田二十四騎の大半は官兵衛が姫路時代の子飼いの家臣であり、
黒田家と姫路・播磨とのゆかりの深さが偲ばれます。

- 黒田兵庫助
(くろだひょうごのすけ) - 官兵衛の同母弟。姫路生まれ。官兵衛とともに秀吉に仕えて各地を転戦。
若くして中津城主となった甥の長政を後見し、家中の多くに慕われた。

- 黒田図書助
(くろだずしょのすけ) - 官兵衛の異母弟。姫路生まれ。キリシタンだった官兵衛の影響もあって入信。洗礼名はミゲル。熱心な信者で、秀吉の禁教令後も信仰を貫いた。

- 久野四兵衛
(くのしへえ) - 播磨国に生まれ、父の代から黒田家に仕え、官兵衛の小姓となった。秀吉の九州平定後、戦乱で荒廃した博多の復興を成しとげた。

- 母里太兵衛
(もりたへえ) - 姫路市飾磨区妻鹿の出身。大杯の酒を飲み干し、福島正則の秘蔵の槍をせしめた話が、民謡「黒田節」として今に歌い継がれている。

- 黒田三左衛門
(くろださんざえもん) - 有岡城幽閉中の官兵衛を庇護した看守の次男で、恩に報いるために官兵衛が養子に迎えた。芸術家的側面もあり、黒田長政騎馬図を製作した。

- 桐山孫兵衛
(きりやままごべえ) - 近江国の生まれで、播磨国に移り住んで職隆以下三代に仕えた。官兵衛に従って青山の合戦で初陣。朝鮮の役では長政に従い、高名をあげた。

- 小河伝右衛門
(おごうでんえもん) - 播磨国美嚢郡の生まれと伝えられる。官兵衛に従い九州の陣で高名をあげる。朝鮮の役の働きでは小西行長から「日本一の勇士」と賞賛された。

- 三宅山太夫
(みやけさんだゆう) - 姫路市飾磨区三宅の生まれ。官兵衛が孫子の一節「不動如山」(うごかざることやまのごとし)から山太夫と名乗らせ、後に黒田水軍を任された。

- 竹森新右衛門
(たけもりしんえもん) - 姫路市上大野の生まれ。佐用城攻めで城主兄弟を討ち取る働きをするが、別府城の戦いで左手を負傷し、気遣った官兵衛が旗奉行に任じた。

- 林太郎右衛門
(はやしたろうえもん) - 信濃国の生まれで播磨国に移り住んで官兵衛に仕えた。槍の達人で、朝鮮の役で虎を突き殺し、講談「加藤清正の虎狩」のモデルになった。

- 堀平右衛門
(ほりへいえもん) - 播磨国の生まれ。長政の家臣の従卒から朝鮮出兵時に異例の抜擢で直参となった。朝鮮の役では晋州(ちんじゅ)城の一番乗りを果たした。

- 毛屋主水
(けやもんど) - 近江国の生まれ。幾多の変遷を経て佐々成政(さっさなりまさ)の足軽大将となり、後に長政に仕えた。気象状況や敵情の視察に優れていた。

- 黒田修理亮
(くろだしゅりのすけ) - 官兵衛の異母弟。姫路生まれ。秀吉と弟の秀長に仕え、関ヶ原の役では九州各地を転戦。官兵衛没後、菩提を弔うために画像を崇福寺に納めた。

- 栗山四郎右衛門
(くりやましろうえもん) - 姫路市栗山町の生まれ。有岡城に幽閉中の官兵衛を救出。官兵衛臨終の場で愛用の鎧兜を与えられ、長政の補佐役を託された。

- 井上九郎右衛門
(いのうえくろうえもん) - 姫路市白浜町松原の生まれ。黒田職隆に仕え、後に官兵衛に召抱えられた。知略を重んじる戦術家で、その才を官兵衛や長政に見込まれた。

- 後藤又兵衛
(ごとうまたべえ) - 姫路市山田町に生まれ、官兵衛に養育される。多くの戦功をあげたが、長政の不信を買って黒田家を去り、大坂城に入って夏の陣で戦死する。

- 野村太郎兵衛
(のむらたろべえ) - 母里太兵衛の弟で姫路に生まれ、妻の姓を継いだ。幼時から黒田家に仕え、九州の陣で活躍し、宇都宮鎮房(しずふさ)の討伐でも功をあげた。

- 吉田六郎太夫
(よしだろくろうだゆう) - 姫路市八代の生まれ。二間半の槍を持ち歩き、多くの戦功をあげた。備中高松城の水攻めでは、船の底に穴を開けて沈め、川をせき止めた。

- 菅六之助
(かんろくのすけ) - 美作国の名族の出身で、たつの市新宮町で生まれた。幼時から黒田家に仕え、関ヶ原の役では小早川秀秋の寝返りを画策する使者となった。

- 野口左助
(のぐちさすけ) - 加古川市野口町生まれ。父は教信寺の僧で母里太兵衛は義兄にあたる。佐用城や三木城攻めで名をあげ、九州の陣、朝鮮の役でも活躍した。

- 益田与助
(ますだよすけ) - 加古川市東神吉町の貧しい農家の生まれ。官兵衛に下僕の身分から取り立てられ、足軽大将にまでなったが、終生、律儀な正直者だった。

- 原弥左衛門
(はらやざえもん) - 本姓は原田氏で、筑前国の名族宝殊山(ほうしゅやま)氏の支流。九州の陣から官兵衛に仕えたが、九州の地理に明るく黒田軍を大いに救った。

- 衣笠久右衛門
(きぬがさきゅうえもん) - 播磨国明石郡の生まれ。小寺家から黒田家家臣となり、官兵衛が小寺政職の遺児を呼び寄せる際には使者を務めた。朝鮮の役でも奮戦した。

- 村田兵助
(むらたへいすけ) - 姫路市井ノ口の生まれで、広峯神社の神主・井口太夫の甥。幼時から官兵衛に仕え、長政が人質として秀吉に預けられたときも供をした。